釈正輪講和会

歴史、伝統、文化をお伝えしながら皆さんの生活にお役に立てる様、学び活かしていける講話会を開催しています。

【釈正輪メルマガ3月5日号】日々是好日

【愚痴を言う前に、心を見つめましょう】

啓蟄の次候には、「桃始めて笑う」があります。桃の節句は三月三日で、まだ花はつぼみの時期ですが、旧暦の三月三日は、新暦の三月下旬から四月上旬にあたり、ちょうど桃の花が咲くころです。かつては「上巳の節句」といい、川に穢れを流した行事が、やがて女の子の健康を祈る雛祭りになりました。

もう少し上巳の節句についてお話しいたしましょう。五節句[人日(じんじつ)節句・上巳の節句・端午の節句・七夕(しちせき)の節句・重陽の節句]の一つである上巳(三月最初の巳の日)は、古代中国では忌み日とされ、水辺で禊をして心身の穢れを祓う習慣がありました。これが日本に伝わり、平安時代には、上巳の日に紙で作った人形(ひとがた)で身体を撫でて、それを川や海に流す「上巳の祓え」が行われるようになりました。この人形は、形代(かたしろ)や撫物(なでもの)とも呼ばれ、穢れや罪、災いを身体から移し、身代わりとして川などに流されます。これが雛人形の起源だといわれています。

もうひとつ、平安時代には「雛(ひいな)遊び」と呼ばれるお人形遊びがありました。貴族の子女たちが豪華な御殿や調度などを調えて遊んだもので、『源氏物語』などにその描写が見られます。三月三日の雛祭りは、上巳の祓えと、この雛遊びが結びついたといわれ、江戸時代に現在の形に近いものができたといわれます。その後、艶やかな雛人形や調度品が競って作られるようになったのは、私たちもよく知るところです。

合掌

雪みちを 雛箱かつぎ 母の来る

          室生犀星

毎日愚痴を言いまくっていた隣の席の女性がいなくなったら元気になった。という話題がインターネットで反響を呼んていました。いつまでも止まらない愚痴には、もううんざりといった心境でしょうか。愚痴を聞く方も大変です。そんなことから電話を使った「愚痴サービス」というビジネスまで登場しています。お金を払ってでも、言わずにおれないのが愚痴なのかもしれません。

辞書を引くと「言っても仕方のないことをくどくどと嘆くこと」とあります。ですから、愚痴と言えば口で言うものだと思いがちですが、本来、仏教では愚痴は煩悩の一つで、妬みや嫉み、恨みといった心の行いのことをいいます。「隣の貧乏、雁の味」ともいうように、他人の不幸を喜び、他人の幸せはしゃくの種といった、どろどろとした心がすべての人にあるのだと釈迦は言いました。

こんな愚痴の心が口に上ると、不平、不満、呪いの言葉となり、相手も自分も蝕む毒になりますから、気をつけなければなりません。「蒔かぬ種は生えぬ」自分にやってくる不幸は、かつて自分が蒔いた種によるもので、全ては自業自得だと釈迦は説いています。思い通りにいかないと、ついつい愚痴を並べてしまいがちですが、そんな時の心こそ、見つめて頂きたいものです。

釈 正輪 拜

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