【釈正輪メルマガ2月26日号】日々是好日

【往生極楽の道】

季のことばに「春霞」があります。古い絵巻物や洛中洛外図には、様式化された絵画手法とでもいうべき霞や雲が描かれています。専門的には「すやり霞」というのだそうですが、絵のなかに霞を巧みに配することによって意図的に省略したり、余白効果をもたせたり、古来日本人にとって、霞や雲がいかに身近な存在であったかをうかがい知ることができます。

春霞はまた、夜になれば「朧(おぼろ)」と名を変えます。霞は昼と夜の気温差が大きい日に起こりやすいとされますが、春霞の一部には昔から黄砂の影響があったとは驚きです。

合掌

霞立ち 木の芽もはるの 雪降れば
花なき里も 花ぞ散りける

紀貫之 古今和歌集・春上

前回、私たちの日常とは、例えるなら「滝つぼ」へ向かう船の中の出来事だとお話ししました。船内だけ見れば、平穏に見えるかもしれませんが、ヘリコプターから見下ろせば、船に一大事が迫っていることは明らかでしょう。船旅に興じる人たちは、その行き先を見ることができませんから、船内で飲めや歌えの大騒ぎをしています。

同じように人は皆、勝った負けた、損した得したと目の色を変え、互いに争って生きています。こんな実話があります。「得」という字を分解すれば、「人々よ、日に一寸ずつ儲けてゆけ」と書いてある。欲深い婆さんはそれを聞いて、「これは面白い、良いことを知った。一日一寸でも一年たてば、大したものが得られるぞ」。それから隣の田んぼを、ちょっとずつ削り取ることを日課としました。段々と広がる我が田を眺め、得意然と喜ぶ婆さんでした。

ところが間もなく、交通事故で、息子さんが身体障害者となり、その婆さんは脳卒中で寝たきりになり、一寸ずつ儲けたたんを売り払い、死んでいったといいます。

死んだらどうなるのか、後生の問題は、五十年や百年どころではありません。未来永劫、苦患(くげん)に沈むか、往生極楽の楽果を受けるかの一大事だと、仏教では教えています。自分の乗った舟が、真っ直ぐ滝つぼに向かっていることを知ることから人生は始まります。釈迦の覚りの最初の言葉が、「あぁ、なんとこの世は儚いものか」と、避けては通ることのできない、人生の滝つぼ(生老病死)をはっきりと認識したのでした。

しかしご遷化最後のお言葉が、「あぁ、人生はなんと甘味なものか」と、意味深い遺偈を残し涅槃に入っておられます。その境地に至ることができる唯一教えが『仏教』なのです。

釈 正輪 拜

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