なぜ生きる

秋の夜長、どこからともなく虫の声が聞こえてきます。末候に「蟋蟀戸に在り」ますが、この頃の「蟋蟀」は、コオロギなのか、キリギリスなのか諸説あるそうで、実はどちらとも定かではないようなのです。 
 コオロギの鳴き声の風情は、早くも万葉集に歌われていました。またキリギリスは別名を、機織り虫と呼ばれています。由来は、鳴く声がギーッチョン、ギーッチョンと、機織り機のように聞こえるからだと言われます。
 
 最近ではめっきり聞く事が無くなりました、秋の夜長を彩る虫たちの音色。昔の人は、山野に出かけて虫の声を楽しむ「虫聞き」をしたものです。
 
          合掌
 
きりぎりす いたくな鳴きそ 秋の夜の
ながき思いひは 我ぞまされる
 
          藤原忠房 古今集・秋上
 
 「僧侶は何をする人ぞ」と尋ねると、ほとんどの人は首を傾げながら、葬式や法事等で、亡くなった人へ、供養の読経をする職業の人と、答える人がほとんどでしょう。僧侶とは、「仏法を聞かせることを旨とするにあり」。その仏法を説かれた釈迦は、今から凡そ二千六百年前に、ネパール(北インド)の、シャカ国王家夫婦の子供として誕生します。何不自由のない日々でしたが、人間に生まれた以上、生・老・病・死の苦悩は逃れられぬと知り、『苦しくても、なぜ生きる』その答えを求めて、六年もの間、想像を絶する厳しい難苦の修行に打ち込まれ、三十五歳の十二月八日の未明に大悟し、仏の悟りを成就され、覚者(ブッタ)となられました。
 
 釈迦一代の教えは、全て七千余巻の一切経に収まっています。「難思の弘誓は難度の海を度する大船(教行信証総序)」親鸞は、人生は苦しみの絶えない荒波の海のようなものだ。それを「難思の弘誓」といっています。「人生は苦なり」これは上記の釈迦の言葉です。王家の子として、何もかも恵まれていながら、一体何の苦しみがあるのかと思われるでしょうが、しかし人間の苦しみは、物の有る無しだけではないのです。どんな人間も、それぞれの苦しみから逃れることはできない。皆、難度海で溺れ苦しんでいると釈迦は喝破します。
 
 ある方はこのように言いました。「苦しみがあるから楽しみもある。乗り越えた困難が大きいほど、つかむ喜びもまた大きい」と。確かに、「人生楽ありゃ苦もあるさ、涙の後には虹も出る(あゝ人生に涙あり、作詞:山路路夫)」苦しみがあるから人間は磨かれます。苦しみを乗り越えて生きる姿は素晴らしい、そう考える人も多いことでしょう。
 
 しかしそれも、命あっての物ダネです。命は決して長くはありません。儚いものとは、幻のように過ぎ去る人の一生ではないでしょうか。そんな苦海に溺れる人を救う術こそが、釈迦が諭した仏法なのです。「なぜ生きる」その答えに一人一人導いていくのが、僧侶の責務なのです。
 
たとい大千世界に
満てらん火をも過ぎゆきて
苦海の道をゆくひとは
ながく不退にかなうなり
 
(たとえ大宇宙が火の海になろうとも、その中で、苦難の道を歩む人は、必ず不滅の幸せに輝く)
 
          釈 正輪 拜

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