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善い因(たね)は時期を選ばず

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秋分の候。
季の花に「吾亦紅(われもこう)」があります。まだ自然が近くにあった子どものころ、道端に咲く吾亦紅をよく見かけたものです。
ひょろひょろ伸びた茎には、葉らしきものはほとんどなく、枝分かれした先に深いワインレッドの俵形の花穗をつけます。花びらはなく、苞(ほう)と萼(がく)だけの小さな花が密集したものです。若葉はさっとあえて食用に、根は和薬の地楡といって、すり潰し傷ぐちに塗ると止血剤になります。
 
 名前の由来は諸説ありますが、花の色を論じていたときに、花自身が「吾(われ)も亦(また)紅(こう)なり」と言ったとも。香りがあることから「吾木香」とも書きます。
 
          合掌
 
瀬の音の 秋おのづから たかきかな
 
          久保田万太郎
 
 「布施」は善い種まきだと分かっていても、いざ実行しようとなると、欲の心が邪魔をして躊躇ってしまうものです。何故でしょう。与えれば確かに相手は喜びますが、自分の手元は減ってしまいます。損をするように思うのです。
 
 例えば、リンゴ狩りに行って5個を取って持ち帰ることにしました。帰り道、いつも世話になっているご近所さんに会ったので、2個差し上げた。手元に残ったのは、もちろん3個。損をしたような気になります。
 
 ところが仏教では、リンゴを5個持っていて、相手に2個上げたならば、私の手元は2個増えて、7個になるのだと教えています。この意味は、物の個数の増減を言っているのではなく、もっと大切なことを言わんとしているのです。与えたのに増える?確かに、手元の、リンゴは減りますが、喜ぶ人は二人になり、笑顔が増えます。私がよく話します「自他利他」とは、相手の幸せを第一に考えて施す(利他)ままが、私の幸せになる(自利)ということ。他人に施せば、必ず私が幸せに恵まれるのです。布施の大切な心掛けをお釈迦さまは、次のように教えられています。
 
 昔、ある愚かな男が、大勢の客を招いて宴を開くことにしました。種々に考えた末、乳牛を飼っていたので、牛乳でもてなそうと決めました。ところが牛は一頭だけ。とても多数の来客者には対応できません。前もって乳を搾って溜めておけば腐敗します。思案に暮れた男は名案が浮かびました。「そうだ。牛の腹の中に蓄えておけばよいのだ。今日から搾らずにおこう」とニンマリ、その日を待ちました。
 
 当日、大勢の客がやってきました。男は牛小屋へ行き、何日も腹の中に蓄えていたはずの乳を一気に搾り出そうとします。しかし牛の腹はしぼんでしまって、以前よりも乳は出なくてなりました。客たちは幾ら待てども、一向にご馳走が出ないので騒ぎだしました。仕方なく男が一切を打ち明けると、皆、口々に怒るやら、嘲るやらして帰っていったといいます。
 
 お釈迦さまは、この話をなされてから、「お金が貯まり、余裕が出来たら大いに施そうという者をしばしば聞くが、それは今の男と一緒で、布施など到底できるものではない。持てば出すのが惜しくなり、そのうちに奪われたり、身内で揉めたり、災難や事故に遭って、思いを果たさぬうちに自分も死んでしまう。布施は思い立った時に行うのがよい」と諭されています。事実、私の周囲でも、以前から今に至るまで、先の話と同じことがよくあります。これはお金や物を施す時だけでなく、挨拶や心遣いなども同様です。

善い因(たね)は時期を選ばず、直ぐに蒔きなさい。
 
          釈 正輪 拜

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