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浄土が「西」にあると説かれる理由

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「糸瓜(へちま)忌」という季のことばがあります。へちまの花は夏の季語ですが、へちまは秋の季語。へちま棚を作って夏に日除け代わりに育てると、葉が茂り、黄色の花が次々に咲き、やがて実をつけます。小学生のころ、へちまを育てた覚えがあります。へちまの汁は化粧水になるといわれ、皆で分けて持って帰った記憶があります。へちまの実が棚からぶら下がるようになると初秋です。

明治の文豪正岡子規は、病床からへちま棚を眺め、いくつものへちまの句を詠んでいますが、子規にとってのへちまの原液水は咳の薬として、自ら用いるためでもあったようです。

かく言う私も、七月から続いている咳に、今もって悩まされています。私も試してみようと思いましたが、近年ではへちまを作ることがないため、なかなか原液水がみつけられません。

合掌

をととひの 糸瓜の水も 取らざりき

正岡子規

年二回、春分と秋分は、太陽が真西に沈む日です。西に沈む夕日を見ながら、人はいつの日からか、極楽浄土に想いを馳せるようになったことから、「お彼岸」といわれるようになりました。ところで何故、阿弥陀如来仏の極楽浄土は西にある、とお釈迦さまは説かれたのでしょうか。

それは、太陽も月も星も、最後は西の地平(水平)に沈むように、すべての人も最後にはそこに辿り着かねばならないのです。また其れこそ真実の幸福の世界「極楽浄土(彼岸)」であるからです。

山に降った雨水は、山稜から谷を下り、池や沼などに一時は留まります。しかし、やがて溢れ出て、次の水溜まりに流入します。しかしそこでも止まることを知らず、また次の湖へと。そうして最後は海へ。あらゆる川の最後に行き着く所(終帰)です。

そんな水のように、私たちは皆、何処かに真の幸福がないかと探し求め、彷徨っています。すべての人が求める本当の幸福を教えるのが仏教であり、お釈迦さまは「彼岸」と明示なされました。

釈 正輪 拜

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