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彼岸は現世にあります

fdgdds - 彼岸は現世にあります

鶺鴒(せきれい)の候。
チチィ、チチィと鳴く、尾の長い小鳥が白鶺鴒です。昔は渓流や水田、沼などのほとりでよく見かけたものですが、最近では人家の側でも見かけるようになりました。なかには餌などを貰えると思って近づく鶺鴒もいます。

ところで鶺鴒は「日本書紀」の国生み伝説に、とても重要な役目で登場する鳥です。尾を上下に振る仕草で、イザナギとイザナミに男女の交わりを教えたといいます。そこから大八嶋(日本の島々)を産み落としたというのです。そのようなことから、「恋教え鳥」とも「嫁ぎ教え鳥」とも呼ばれています。

合掌

せきれいは 尾を振るゆゑに 曇りふかき
川原の 石に見えて啼きい居り

島木赤彦

もうすぐ秋のお彼岸です。彼岸は、秋分の日を中日(なかび・ちゅうにち)とした七日間をいい、「暑さ寒さも彼岸まで」ともいわれるように、厳しい暑さも和らぐ季節の変わり目です。

ところで「彼岸」とは仏教由来の言葉ですが、その意味を考えたことはありますか。彼岸の意味を正しく知ったならば、私たちが生きるうえで、如何に大切な言葉かがわかります。

仏教で「此岸(しがん)」とは、私たちの生きている世界をいい、「娑婆世界」ともいわれます。娑婆はインドの言葉で、「堪忍土」と訳されます。堪忍とは、「こらえ、しのぶ」と書きます。今年の夏は、国内最高気温も更新するような猛暑日続きと、地震に台風、集中豪雨等の大災害が立て続けに起こり、まさに「堪え忍んだ」堪忍土でした。

また、「ならぬ堪忍、するが堪忍」で、人は生きるうえで、耐え難くとも、怒りを爆発させたい時も、ぐっとこらえねばならないことがあります。人間関係に限らず私たちは日々さまざまな苦難が待ち受けています。一難去ってまた一難。それらを耐え忍びながら、〈こんなことがいつまで続くのだろう。人生ってこんなものかなぁ〉と、ふと疑問を感じることはないでしょうか。はた目からは成功し、恵まれていると見える人でも、実態はあまり変わらないのが現実ですね。

ダンテは『神曲』の冒頭に、「人生の旅のなかば、正しい道を見失い、私は森を彷徨った」と書いていますが、共感する人が多いのは何故でしょうか。誰もがその時頑張ってきたはずなのに、人生の旅の半ばになっても、幸せだとかこれで満足だとか、堪忍の日々が報われたと感じられないでいる方が多いのは何故でしょうか。

それは人生の羅針盤が間違っているからに他なりません。お釈迦さまは人々に、正しい人生の羅針盤を指し示されています。それが「彼岸」なのです。彼岸は死んだあの世にあるのではなく、現世の浄土にあるのです。これを「平生業成」といいます。「平生」とは現在のことです。「業成」とは真の幸福に成ることです。つまり本当の浄土とは、「娑婆(現世)」で幸福を感じることなのです。

娑婆にいる限り、苦しみや災難は変わらずやってきますが、絶対の幸福に救われれば、娑婆の苦しみ悩みは受け入れることができ、その先にある真実の幸福感を得ることができるのです。その為には是非、お釈迦さまの説かれた『仏教』にふれてみてください。

いずくとも 身をやるかたの 知られねば
うしと見つつも ながらうるかな

どこに向かって生きればよいか分からないまま、住みづらいと思いながらも、この世に生きながらえています。

紫式部

釈 正輪 拜

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