釈正輪講和会

歴史、伝統、文化をお伝えしながら皆さんの生活にお役に立てる様、学び活かしていける講話会を開催しています。

日々是好日(197)

日々是好日(197)

【釈正輪メルマガ12月16日号】日々是好日

(2014/12/16配信)

【盲亀浮木の譬喩】
 
 師走も中頃となり、なにやら忙しく感じられる今日この頃ですが、日本列島は寒波の真っ只中。御見舞い申し上げます。
 
 さて十三日は正月の事始めの日でした。新年を迎える支度をするために、寺院では先ず煤払いから始めます。一年の汚れを落とし、穢れを浄める大掃除をします。皆さんの年末年始はお歳暮や年賀状など、お世話になった人に感謝の気持ちを伝える機会が多くあることでしょう。
 
 ところで心から感謝を述べることを仏教では『心施』と言います。お釈迦さまが勧められる布施行の一つです。「ありがとう」は、「有り難う(有ることが難しい)」と書き、本来は「めったにない」の意味です。
 
 欲深い私たちが、他人にものを差し上げたり、親切にするのは大変難しいことです。そんな為し難い「善」を私たちのためにしてくださった、という感謝の言葉に転じたのです。
 
 そのような有り難いことは世の中にいろいろありますが、中でも稀なことは、「生まれ難い人間に生まれたことである」とお釈迦さまは、こんな喩え話で教えてくれています。
 
「大海の底に1匹の目の見えない亀がいる。その亀は百年に一度、海上に浮かびあがるのだ。広い海には浮木が流れていて、浮木の真ん中に一つの穴がある。盲亀が百年に一度浮かび上がった拍子に、丁度浮木の穴に頭を突っ込むことがあるだろうか」と尋ねられた。
 
 阿難という弟子が、「そんなことは毛頭考えられません」と答えると、お釈迦さまはこのように言われました。「誰でもそんなことは有り得ないと思うだろう。だが、何億兆年永い間には絶対に無いとは誰も言い切れないだろう。人間に生まれるということは、この喩えよりも有り得ない、ありがたいことなのだ」。
 
 これは『盲亀浮木の譬喩』といわれる有名なお話しです。
 
 私たちは、せっかく受け難き人身を受けながら、当然のように生きて、命を粗末にする人がいかに多いことでしょう。人生を心から喜べないのは、人間に生まれねば果たせぬ大事な目的があることを知らないからです。
 
                                           合掌
 
  人身受け難し、今已に受く。
  仏法聞き難し、今已に聞く。
  この身今生に向って度せずんば、さらにいずれに向ってこの身を度せん。
 
                                    釈迦

 
『人間に生まれて良かった。』と思えるまで、どうか皆さん真の仏法をお聴き頂きたいと願います。
 
                                             釈 正輪 九拜
 


Source: 釈正輪メールマガジン

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