輪廻転生(2016年3月22日)

春分の候。
春分を中日として、その前後三日を含めた七日間が春のお彼岸です。「彼岸」の本来の意味は悟りな境地のことで、そこから煩悩に満ちた此の世を「此岸」、あの世を彼岸と呼ぶようになったといわれます。

それにともない先祖を供養する日ですから、お墓参りをする方も多く、私どもの寺院では二十日「彼岸会」を営みました。春分の日は太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西の遥か彼方にある「西方極楽浄土」に最も近づける日とされてきました。

「暑さ寒さも彼岸まで」いよいよ春本番です。

山寺の 扉に雲遊ぶ 彼岸かな

飯田蛇笏

人は皆、迷いのなかに生きています。どんなに立派な人であろうと、完成な人間はいません。人間というものは、もともと迷いのあるものとして生まれてくるのです。しかも、此の世に生まれたら、最後は必ず死ぬことになります。生きるという事は、死に向かうことでもあります。何とも哀しい身の上ではありませんか。しかし死を離れて生はなく、生を離れて死もないのです。

仏教には「輪廻転生」という思想があります。人間のみならず、生きとし生けるものには皆魂があり、それぞれの魂は、車両が回転するように、絶えず生まれ変わり死に変わるのだと教えています。「霊魂不滅」というように、魂は人智では計り知れない昔から、ずっと迷い続けて、生きては死に、死んでは生きて、永遠に存続するといわれています。

この思想は、仏教が開かれる前から、バラモン教として、インド人のなかに染み込んだ教えでした。本来、イエスの教えやエジプトやギリシャにも、そのような思想があったと云われていますが、仏教では更に奥深く教えています。人は死んだら終わりではなく、死ぬのは肉体であって、私たちの魂は死にません。私たちは途方もない遥か彼方から、幾千万も生まれ変わり死に変わって、現在ここに存在しているのです。

そして魂の旅はまだまだ続いていきます。

合掌

悠々たり悠々たり太はなはだ悠々たり
内外(ないげ)のけんしょう千万の軸あり
杳々ようようたり杳々たり 甚だ杳々たり
道をいい道をいうに百種の道あり
書死たえ諷死えなましかば本もと何いかんがなさん
知らじ知らじ吾も知らじ
思い思い思い思うとも
聖も心しることなけん
牛頭草を嘗めて病者を悲しみ
だんし車を機(あやつ)って迷方を愍(あわれ)む
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識しらず
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥くらし

空海『秘蔵宝鑰「秘密曼荼羅十住心論」』より

釈 正輪 拜

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