釈正輪講和会

歴史、伝統、文化をお伝えしながら皆さんの生活にお役に立てる様、学び活かしていける講話会を開催しています。

本願(2016年3月15日)

三春の候。
梅の開花から始まり、今は桃の花が満開を迎えています。まもなく桜便りが届く頃となります。皆さまにおかれましては、恙無くお過ごしのこととお慶び申し上げます。

次候に「桃始笑(ももはじめてさく)」の言葉がありますが、桃の花が開く頃のことを、昔の人は「笑う」といっていました。なんとも愛らしい表現ではありませんか。梅の紅とも桜の淡紅とも違う桃色は、おもわず吐息も吐くくらい、口許もほころぶ春を感じさせます。

合掌

白桃や 莟うるめる 枝の反り

芥川龍之介

一ぷくつけて、ぶらりと表へ出たら
桃の花が咲いていた

山之口貘「桃の花」より

ところで今の時期は、受験生にとって将来を決める大切な節目だと思われています。桜咲く桜散るなど合否の合言葉になっています。その為か本人はもとより、家族も合格祈願に躍起となり、神社仏閣にお願いに参ります。私も多くの祈願祈祷の依頼を受けますが、これは人間だからこそできる行為です。私もその気持ちはよくわかります。

日本仏教界ではそれを「他力本願」と申します。

私は禅を極めてきましたので、暫く仏教の本質は「自力本願」だと思ってきました。しかし、仏教には自力他力の区別などありません。いつからか僧界では、自力と他力を区別し、互いが差別意識を持つようになりました。自力は自らの修行という修練により、仏の境地を目指す行為で、他力は仏にすべてを委ねる行為です。

では自力の「本願」、他力の「本願」とは何でしょうか。これは「本当の願い」という意味で、仏しか持ち得ません。何故ならば、人の心は嘘偽りが多く、心も変わりやすく、日々迷いころころ変わります。そこには嫉妬や虚栄心などといった、不純なものが必ず潜み、人間には「本当」ということがまずありません。

ですから「本願」というのは「仏の願い」の意味なのです。私たちは神仏に、商売繁盛や合格祈願・病気平癒など、それはそれはたくさんのお願い事を致します。敢えて申し上げるなら、私たちはそのような願い事をしてはいけないのです。バカな、と思われるでしょうが、それがお釈迦さまの説く仏教の本質なのです。願いはあくまでも仏さま側にあるのです。

わかり易く申し上げれば親子の関係です。子供は親に、お菓子やおもちゃ・ゲームなどをねだりますね。賢い親はそうした子の我が儘を聞いてやることが、はたして子供のためになるかどうかを考え、ためにならなければ与えませんよね。我が子の健やかな成長を心から願う親は、逆に欲さないものを与えることもあります。

「かわいい子には旅をさせよ」という言葉のように、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうが、わが子の将来のためになると考えて、時には試練を与えることもあります。仏さまの「慈悲」とそうしたものなのです。つまり自力も他力も本願とは、「人生の苦悲をそのまま受け入れよ」ということなのです。
人生思い通りになることが決して幸せとは限りません。

しかし人間は自ら幸せになるための精進を怠ってはなりません。精進の結果は、人生の最後にわかることですから。

釈 正輪 拜

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