生かされる命(2016年3月8日)

うららかな春、あたり一面に黄金色の絨毯が敷き詰められたように「菜の花」が咲く光景を、二十年前に私は岩手県の陸前高田市で見ました。それは私が日本全国を托鉢行脚して歩いた今頃の時期のことでした。

来たる三月十一日は、東日本大震災から五年になります。あれからしばらくの間、震災に遇った陸前高田では、菜の花が咲きませんでした。しかしその後、地元地域の方々が、「菜の花大地復興プロジェクト」と称して、たくさんの菜の花の種を植えました。そして竹駒町にある仮設スーパー近くの河原には、今年もその菜の花が満開だといいます。そこは被災した土地を耕耘し、瓦礫を取り除いた場所でした。菜の花はいつしか皆さんの「希望の花」になっていたのです。

おぼろ月夜

菜の花畑に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよ吹く 空を見れば
夕月かかりて 匂い淡し

作詞:高野辰之
作曲:岡野貞一

菜の花や 月は東に 日は西に

与謝蕪村

ところで皆さんは「いつか、菜の花畑で〜東日本大震災をわすれない〜(すみこそ著:扶桑社)」という本をご存知でしょうか。これは漫画家の著者が、震災の報道やボランティアの体験から、犠牲になられた方々の、それぞれの壮絶かつ悲惨な状況を漫画で紹介しています。

例えば、「孫を抱き抱えたまま亡くなったおばあちゃんや、一人でも多くの住民を避難させようと、ギリギリまで頑張って殉職してしまった警察官など、現実に起こった出来事などを、感動的なエピソードとして描いています。命の重みや絆の大切さがひしひしと伝わってきます。

ここに描かれるのは、あの日に起こったほんの一部分でしかありません。現実にはたくさんの哀しみのドラマがありました。正に不条理なこの世を、まざまざと見せつけられた出来事でした。私たちの明日は「一寸先は闇」です。いつ何時、大きな不幸に見舞われるかしれません。この先どうなるかわからないのが人生というものなのです。

お釈迦さまの説かれた仏教の教えは、人生は「一切皆苦」と「諸行無常」であり、人間のみならず、この世に存在する全てのものは皆、常に生まれては消滅し、消滅しては生まれるといった過程を辿り、「永遠不変のものはない」という厳然たる大自然の法則と、宇宙の理(ことわり)を示されました。

ですから、生きとし生けるものの命は、決して儚いものではなく、「死んだら終わりではない」。死ぬのは肉体であって「魂」は未来永劫魂の旅を続けると説かれるのです。魂は途方もない遥か昔より、幾度も生まれ変わり死に変わり、そして今ここに「私」として現存します。

故に「死」は、死んだら終わりではなく、来世の生まれ変わりの為の準備でもあるといえましょう。

このように考えてみてください。人の命というものは、絶えず偶然の連続性で生きています。ならば地震・津波・火事などの災害だけでなく、交通事故や殺人事件、更には突然の病死などもまた偶然也。

そこで私たちは大変な勘違いをしています。生きることを必然で、偶然に死ぬと思っています。しかしそれは真逆で、死が必然であり、生きている瞬間瞬間こそが偶然なのです。仏教ではそれを「刹那」と申します。つまり人間は、生きるか死ぬかの狭間をずっと彷徨っているだけなのです。

本来は生も死も、すべてが必然で起こる真理です。

生きとし生けるものすべては、生きているのではなく『生かされている』のです。それを『妙法』と申します。

東日本大震災で亡くなれました多くの御霊に合掌礼拝。

釈 正輪 九拜

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