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釈正輪回顧録 4. 木作2

釈正輪回顧録 4. 木作2

木作という地名は、ここが木地師(きじし)の里であったことを表している。
木地師とは、各地の山を巡って斧で木を切り、轆轤(ろくろ)をまわして椀や盆、木鉢、杓子などを作ることを認められていた人達のことだ。

朝廷の由来書を持ち歩き、山々を自由に渡り歩くことが出来た。
木作の近くには小倉という地名があった。
これも木地師に多い名で、この地域一帯が木地師の里であったことを物語っている。
木地師の祖は惟喬親王(これたかしんのう)といわれる。
惟喬親王が法華経の巻物の紐を引くと巻物の軸が回転するのを見て、轆轤を考案したというのが伝説だ。
発祥は滋賀といわれるが、一説にはこの木地師が忍者の祖ともいわれる。
峯々をつたって各地を巡る木地師は広範な情報網を持っていた。
その一部が戦国大名と結びつき隠密行動をするようになったと考えることは、不自然なことではない。山伏もまた峯々を歩いた。木地師は忍者と山伏の先祖で、両者は同じものだった。
史書を紐解いてみると、この高賀の里の民が甲賀の忍者のルーツであると考えられる証拠がある。
修験道が盛んなこの土地の僧侶を信長が殺さなければならなかった理由も、彼らの諜報活動にあった。
彼らを殺すことで信長は自分にとって不都合な事柄を歴史の闇に葬り去ったのだ。
そんな歴史の因縁を知るにつけ、私は自分に課せられた使命を感じずにはいられなかった。

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