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釈正輪回顧録 2.因縁

釈正輪回顧録 2.因縁

私の俗名は武藤であるが、この地には多くの武藤姓が住んでいた。
私は自分の先祖を調べて、五代前と六代前、七代前の先祖に僧侶がいたことが分かった。
五代前は禅海道喜(ぜんかいどうき)禅師、六代前は豊恂義覚(ほうじゅんきかく)大和尚、七代前は慈海了空(じかいりょうくう)大禅師と名乗る江戸時代中期の人だった。

慈海了空大禅師は真言密教を研鑽し、後に天台宗の僧侶になり晩年は禅師の号を授かり七十四歳で遷化(せんげ:亡くなること)した。
慈海了空大禅師は高賀山、瓢ヶ岳(ふくべがたけ)、今淵ヶ岳(いまぶちがたけ)の三山を一昼夜山駈けし、六神社を参拝する抖藪行(とそうぎょう)の中興の祖であった。
抖藪行(とそうぎょう)とは歩く修行のことである。

長良川と板取川に挟まれた高賀山脈には、高賀山の山脈に高賀神社があり、山の北側に本宮神社、新宮神社、東側には星宮神社が鎮座し、瓢ヶ岳の南の山麓には金峰神社、今淵ヶ岳の南の山腹には瀧神社がある。
この六社をめぐる「高賀六社めぐり」という信仰集団が形成され、江戸時代の中期から後期にかけて活躍した。
慈海了空大禅師はその中心的な存在だったと思われる。

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