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釈正輪回顧録 5.千日回峰行2

山の中腹に不動の岩屋と呼ばれる場所があった。
不動の岩屋は大きな二枚の岩が重なってできていて、上の岩の下にも、下の岩の下にも大きな空洞があり、人が何人か入ることができる広さがあった。
その岩屋を通り過ぎると、石が階段状に連なる急勾配が続く。

吐息が白くなった。四月の高賀山にはまだ雪が残っていて、木々はまだ新芽を出す前だった。
里ではようやく梅の花が咲こうとしている時期のことである。

御坂峠を越えると尾根道が続く。まだ未明に山頂に着き、明けの明星を眺め、そこで再び読経を行う。しばらくすると、遠く木曾御嶽山の方角が白々と明けてくる。
やがてご来光を仰ぐと、私は肩から掛けた法螺貝を取って吹いた。
太陽はやがて山の麓を照らし、私は山頂から自分の育った場所を見下ろした。

私は自分がここにたどり着くまでの因縁に思いを馳せた。
因縁とは因果の理(ことわり)のことだ。この世の全ての事柄は原因と結果によって成されている。
ヒンドゥ教(初期バラモン教)などでは前世の業により現世が形成されると教義しているが、仏教の宗祖である釈迦は更に縁起を説いた。
縁起は縁ともいい、全ての出来事は縁がある。仏教ではそれを因果律といっている。
人は前世からの因縁によって現世の生を受ける。祖先に僧侶がいたが、私の父と母は無信心だった。私は宗教とは無縁の環境で育ち、奇妙な縁で仏門に入った。

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